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高齢者を支える親族のための法律知識
【バックナンバー】
平成27年3月2日
弁護士 亀井 美智子
【Q18】 認知症の父が起こした事故の賠償責任
私の父は80歳で認知症を患っていますが、高齢の母と暮らしています。最近母の気づかないうちに、父が一人で出かけてしまい、警察で保護されたことが何度かありました。ところで、認知症の高齢者が徘徊して電車に轢かれ、鉄道会社から、介護していた妻のほか長男に対しても、損害賠償を請求される裁判があったと聞きました。詳しく教えてください。
【A18】
重度の認知症を患う夫Aと同居していた妻Bに対し、出入り口に設置されたセンサーを作動させる措置を採らなかったことなどにより、民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)の監督義務者としての責任を認め、鉄道事故の損害の一部、約360万円について、鉄道会社に賠償するよう命じた判例です(名古屋高裁 平成26年4月24日)。
この裁判ではBのほか、Aの介護方針を決定していた長男に対しても損害賠償請求がなされましたが、名古屋高裁は、長男は、Bの身上監護の補助行為を行っていたに過ぎないとし、民法714条の監督義務者に該当しないとして、その責任を否定しました。
【解説】
1 重い認知症の人が起こした事故の責任は誰が負うおのか?
重い認知症の精神障害者は、違法な行為により他人に損害を与えても、責任無能力者ですから賠償責任を負いません(民法713条)。しかし、それでは被害者が救済されませんので、民法714条1項は、「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」と規定しています。また、同条2項では、監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も責任を負う、と規定しています。損害の公平な分担の観点から、責任無能力者の監督義務者と代理監督者は、その監督を怠らなかったことを立証できない以上、賠償責任を負うこととしたものです。
精神障害者の監督義務者として、具体的には、後見人、配偶者、同居の親族などが考えられます。代理監督者としては、たとえば精神病院の医師、介護施設の職員などが考えられますが、これらの者が責任を負う場合には、その者の使用者(精神病院、介護施設)も民法715条(使用者等の責任)によって賠償する義務を負います。
お尋ねのケースでは、なぜ妻が責任を問われ、長男は責任なしとされたのか、以下、詳しく見ていきます。
2 妻は監督義務者なのか
夫Aは、91歳の高齢で、重い認知症を患い、要介護4の認定を受けており、徘徊するなど常に目を離せない状態にありました。妻Bは、Aと同居しており、長男の妻Cの協力を得てAを介護していました。Bも85歳と高齢で、要介護1の認定を受けていました。事故当日の夕方、Aは、Cが離席し、Bがまどろんでいた隙に、自宅のセンサーの電源が切られていた入口から出て、駅構内の線路内に立ち入り、列車と衝突して亡くなってしまいました。
裁判所は、Aが責任無能力者に当たるとした上で、妻BがAの「監督義務者」(民法714条)に当たるかどうかについては、夫婦の同居協力扶助義務(民法752条)を根拠に、配偶者の一方が老齢、疾病又は精神疾患により自立した生活を送ることができなくなったり、徘徊等のより自傷又は他害のおそれを来すようになったりした場合には、他方配偶者は、その配偶者の生活について、自らの生活の一部であるかのように、見守りや介護等を行う身上監護の義務がある、として妻BはAの監督義務者にあたるとしました。
3 妻は監督義務を怠らなかったか(免責事由の存否)
前記のとおり、監督義務者が、「監督義務者がその義務を怠らなかったとき」、又は「その義務を怠らなくても損害が生ずべきであったとき」は責任を負いません(民法714条1項ただし書き)。
もっとも、判例は、監督義務者が監督を怠らなかったことによる免責を容易には認めません。この監督義務者の責任は、被害者救済のため、責任無能力者の損害賠償責任を否定することの代償又は補充として定められたもので、無過失責任主義的な側面も持っているからです。
本件において、妻Bは、裁判所に対し、Aから目を離さず常に見守り続けることはできず、Aが単独で外出することを完全に防止することは不可能であった、などと主張しました。しかし、裁判所は、Aが日常的に出入りしていた出入り口に設置されていたセンサーを作動させるという容易な措置を取らず、電源を切ったままにしており、監督が十分でなかった、などとして免責を認めませんでした。
4 損害の全額について責任を問われるのか(過失相殺)
鉄道会社は、振替輸送を手配するための費用など約720万円の損害賠償を請求しました。しかし、裁判所は、鉄道会社において、駅での利用客等に対する監視が十分になされておれば、また、駅ホーム先端のフェンス扉が施錠されておれば、事故を防止できたとして、過失相殺により、Bは、損害額の5割(約360万円)について賠償責任を負うとしました。
5 長男の責任
長男について、裁判所は、母Bから父Aの介護を引き受けていたわけではなく、BのAに対する身上監護を補助していたに過ぎず、Aの身上監護義務について法的義務を負っていたとはいえないとして、監護義務者には該当しないとしました。
なお、一審では、長男が、父Aの介護方針を判断し決定していたことから事実上の監督者であって、監督義務者や代理監督者に準ずべきものとしてAを監督する義務があったとし、その責任を認めていました(名古屋地裁 平成25年8月9日)。
6 最後に
妻Bとしては、高齢で自らも要介護1の認定を受け体が不自由でありながら、可能な限りのAの介護は行っていましたし、Aが線路に入り込むなど予想もしなかったのに、事故の賠償責任を負わせるのは、あまりにも酷である、とするB側の主張にも無理からぬものがあります。
遺族にとって、夫(父)を失った大きな悲しみに加え、鉄道会社から損害賠償を請求されることは、精神的にも経済的にも強い衝撃です。
また、老老介護が社会問題となっている現状において、この裁判は、介護が必要なお年寄りが第三者に損害を与える事態にならないよう親族がなすべきことは何なのかを考えさせられる事件として、大きな反響を呼びました。
名古屋高裁の判決は、上告、上告受理申立がなされましたので、今後、最高裁の判断が示されることになります。
以上
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